こうべかぞくねっと

架け橋

2024年4月  架け橋
親の役割 皆様、感謝しております

 2023年12月で48歳になる娘を、今のままで本人は満足しているだろうか?と、
ふと考えた時、笑顔の時と不機嫌な時のどちらが多いだろう? いろいろ思い当たる事も
あり聞いてみたら、今までしたことのないことなどもやりたい・・・・
 親も年々老いて行くし、送迎車の事も視野に入れて通所施設探しを始めました。
数日お試し通所をした所、初日の迎えの車の中で、にこにこと楽しかった話をしてくれました。数日間毎日楽しかったこと、ちょっと難しかったことなど嬉しそうに話します。
 2023年12月1日から今の施設に通所しています。送迎車の調整もして下さり、2月19日より送迎も始まっております。
親子共にストレスのない毎日を送っております。
親在る時に落ち着いてくれて嬉しい幸せです。

みのたに園 坂本恵子



2024年3月  架け橋
大丈夫、大丈夫だよ。

「大丈夫、大丈夫だよ。」幾度となく娘の真美にかけた言葉です。じっとうつむいて考えこんでいる時。出かけたいのに足が動かない時。自信のない顔をしている時・・・。たくさんの‶大丈夫〟で安心感を届けてきました。   
 一人でバスや電車に乗って高等部に通ったこと。買い物が大好きで100円ショップがお気に入りだったこと。料理も得意で(?)、カレーなんて簡単と包丁も上手に使いこなしていました。授産施設で箱折りをしていた時は指にタコができるくらい頑張りました。  
 真美はダウン症ですが、心臓疾患もなく健康にも恵まれ、まわりの人に助けてもらいながらも明るく伸び伸び生活できるだろうと安易に考えていた私でした。  
 でも、2004年8月の暑い日から生活が一変しました。バス停のベンチで一人、何時間も過ごしていたことを発端に、引きこもり、拒食症、失語症、鬱、昼夜逆転、次々と病状が出てきました。明るかった真美が笑わなくなり、外出や買い物、料理など好きだったことにも興味を示さなくなりました。意欲が低下し、引きこもりの生活が長く続きました。  
 在宅期間も15年が過ぎた2020年2月より清心ホームに通所できるようになり、週2回ですが、家族以外の人とかかわりが持てる機会が出来ました。  
今、思うと長い20年でしたが、頑張り過ぎていた真美がちょっとブレーキをかけて休括をしていた期間だったのかと。 「大丈夫、大丈夫だよ。」の声掛けで安心した表情で動き出す真美。少しずつ言葉も戻り、自分の思いを伝えようとする真美。その思いはちょっと我儘ではあるけれど、大丈夫。これからもしっかり受け止めてやりたいと思います。
 ダウン症に退行現象がある事を20年前の私は知る由もありませんでした。

清心ホーム 片岡弘子



2024年3月-2  架け橋
感謝!

 「みちしるべ神戸」さんでお世話になって、3月で丸2年の息子 駿 です。
 ダウン症で、言葉のコミュニケーションが1歳半程度、認知力にバラツキは有るが概ね 4歳程度と判断されています。本人はかなり楽天的?な性格らしく、正に伸び伸びと育ち、恐いもの無しです。
 学校や作業所には1人で通いたい ー 通学していた時は、のんびり母が巻かれてしまう事も時々 ― そんな「自分でする」意欲満々の駿。 「みちしるべ神戸」での作業にニコニコと通所し、おなじみのコンビニが出来、お小遣いを貯めて「カレーうどん」を食べてドヤ顔で帰って来た事も。 言葉もおぼつかないし、支払うのもスローでご迷惑かと思うのに、どうなんだろう?と、機会があればご挨拶し、ご迷惑おかけしていませんか?と尋ねると、店員さん方の「大丈夫ですよ。ゆっくりでも、ちゃんとしています。他のお客さんも、ゆっくり見守って下さってますので、ご心配なく」という言葉にホッとする日々です。
 先日、みちしるべ神戸さんで、「ハタチの集い」を開催して頂き、初スーツを調えて出席した駿。 帰宅は1人なので、少し多めにお小遣いを持ち、出かけました。 ・・・そして帰宅時、自宅最寄りのバス停で降りた駿、目の前にはジョリーパスタ! 「いい感じに空腹だし、少しお小遣い有るし、大好きなパスタをちょっと食べて帰ろう!」とでも思ったのか、駿は一人トコトコ ジョリーパスタ店内に。ラッキーな事に、タッチパネルは写真で注文出来るし、話せなくても全然OK!お好みのサラダとパスタ、そして、「お祝いの日だし、デザートに前から食べてみたかったダブルのアイスクリーム!」とでも思ったのか、しっかり注文しました。さあ、帰ろう!と会計に向い・・・200円足りない事に気付き、今日は新調のスーツでリュックもないので、ヘルプカードもない! 困った駿。
 店員さんにバスの乗車証を見せて(身元確認)帰宅しました。その後、警察の方々が来訪。 パトカーに乗せて頂いて支払いに行きました。忘れ難い「ハタチ記念」となりました。 日常は、良いことも大変な時もありますが、駿が外で出会う、親も知らない方々に感謝です。そして、「無銭飲食で通報とかではないので、安心して下さい」と、特にサイレンも鳴らさず来て下さった警察の方々や店員さんのご配慮にも感謝です。
 少しずつですが、日々生活力? を身につけていってくれたら、とハラハラしつつ見守る親です。

みちしるべ神戸家族会=元気の会 松原逸子




2024年2月  架け橋
息子の願い

言葉を持たない息子との暮らしは、常に憶測の連続です。息子の仕草や片言から彼の思いを読み取ろうとするのですが、意図を汲めたり汲めなかったり。その打率は決して高くありません。
 息子が私の顔を覗き込んで「やっちょー、やっちょー」と繰り返しつぶやいていた時には、それが「ヤッホー新幹線の歌」だと気がついて歌ってやることができましたが、息子が「た、た」と言いながら部屋のあちこちをひっくり返して探しものをしていた時には、結局その探しものを見つけてやることはできませんでした。
 あの時息子は何を探していたのかなぁ。知りたいけれど「あのときの探しもの何だった?」
と聞いても、もちろん息子は答えてはくれません。
 この世の中には、素敵なことや楽しいことがたくさんあるのに、言葉がないことでやりたい事や欲しいものが伝わらなくて諦めることも多いだろう息子の願いをひとつでも多く叶えてやりたくて、今日も憶測のアンテナをピンと張っています。

なごみの里 沖香代子




2024年1月  架け橋
あの頃のこと、そしてこれから

 次男の力哉が生まれたのは1995年、阪神大震災の年でした。34週早産で近くの産婦人科から神戸大学病院に救急車で運ばれました。
少し小さく産まれたけど、すぐに退院でき普通に大きくなると信じていました。しかし一歳上の長男とは全く違い、明らかに発達が遅い力哉に私の心はザワザワし、色々な本を読んでは安心の材料を探すようになっていました。
 病院では様子を観ましょう…と言われるばかり。痺れを切らし二歳の時に児童相談所に駆け込みました。そこから母子教室に通い、のばら学園へ入園。今思えば辛い子育ての日々でした。将来の事を不安に思うばかりで、一番可愛い時期にしっかりと向き合えなかった様に思います。のばら学園では同じ悩みを持ったお母さん達と出会え、その頃から少しずつ私の気持ちは落ち着いてきました。
 現在28歳になった力哉は、なごみの里でお世話になっています。有難い事に自宅から歩いて通える希望通りの施設に、毎日楽しく通っています。あの頃不安に思っていた私に、そう心配する事はないよ…と言ってあげたい。これからもずっと地域で…穏やかに過ごしていってくれたら…と願っています。

なごみの里 正井 由美子





2023年12月-2  架け橋

相性抜群、表裏一体‼

 数年前の占いで、息子(現在24才)と私は相性抜群、表裏一体と言われました。
私は”そうそう、いつも一緒だし、息子が表で私が裏で支えている”と思いました。
でもそれは私の思い上がりで見透かされていました。
 幼児期の息子は、長男と違い自由人で2度目の初めての子育てをしているようでした。
寝顔は天使でしたが、疲れ果てた私は息子を私に合わせようとするのでなく、私を息子に合わせることにしました。
しんどい所もありますが、ぶつかり合うよりお互いの為良かったと思っています。
 コロナ禍の自宅での自粛生活中には、一緒に食事をし散歩に行き DVDを見て踊ったり、久しぶりに密に過ごしました。 
言葉はありませんが、忖度のない表情で意思表示をしてくれましたし、とびっきりの笑顔や何気ない仕草に癒されました。 貴重な時間でした。
 時々、2つの四文字熟語を思いだします。どちらか表でも裏でも関係なく、勝手に相思相愛も付け加え息子との時間を大切にしたいと思います。
占いの帰り際に言われたのは”あなたが息子さんに助けられているのよ、仲よくね”でした。

なごみの里 片山和枝





2023年12月-1  架け橋

3人の子供達

 子育ての中で大切にしたことは、重度の障害児であっても普通に手助けして姉妹と同じように、沢山の経験をさせる事でした。
運動神経も良くローラースケートや自転車もいつの間にか乗れました。何にでも興味を示しクラシックもアニメも好きでレコードやCDは、部屋一杯でいつも賑やかです。
高等部を卒業すると親子でヨットを始め4年後には海外に出航する事が出来ました。荒れる海も怖がらずジェットコースターの様に楽しみながら頼もしい姿で助かりました。
目的地はオーストラリアでしたが、ヨット1隻では、襲われるので危険と聞かされミクロネシアの旅に終わりました。 
その後もキャンピングカーでキャンプをしながら北海道・東北・四国・九州と3人旅が続きました。
今は大黒柱であった主人も亡くなり、息子と私で毎年キャンプをしながら楽しかった日々を懐かしく思い出しては、私がいなくなっても息子は、沢山の思い出に浸りながら強く生きていってくれると信じています。
積極的で判断が出来るようなので我が道を進むでしょう。期待しています。
二人の娘達は、親を理解し静かに見守り手助けをしてくれています。

とこはの家  中村久代






2023年11月―2  架け橋
「息子の いま」

 今年の誕生日で46歳になった息子、誕生日を迎えるたびに、お母さんは75歳になるんだね!、お父さんは77歳か!と自分の誕生日を自分で祝います。
思い出しますと、三歳の頃よりひきつけを度々起こすようになり、病院巡りをしたものです。
小学校、中学校と仲良し学級で暮らし、何とか社会に出ても最低限の自立生活が出来るようにと、お金の計算、足し算引き算などを、今思えば虐待かと思えるほど、手取り、足取りで教えたものです。でも結局あきらめました。
一つ救いは、そのころから文字の読み書きに対しては、興味を持ってくれました。
今は、支援していただく担当職員さんと親の間でのコミュニケーションツールである連絡帳に対して大きな関心とこだわりを持ち担当職員さんに、ノートに早く書いてほしいと催促。
そして、それに対して親がどんな内容を書いたか?が気になり本人の目の前で書くと、それを読んで満足するのが続いています。
 息子は思春期頃から、ストレスがたまってくると、又親から何か気に入らない言葉を投げかけられたりした際に、突発的に親に対して暴力が出るようになりました。あゆみの里にお世話になる前には、神戸並びに、父親の転勤で東京でも通いの施設に通わせていましたが、家での親に対する暴力(特に抵抗力のない母親に対して)はエスカレートしていきました。幸いにも暴力の対象は親だけでしたのが唯一の救いでありました。
 あゆみの里に息子がお世話になったのは30歳の時です。もうかれこれ16年になります。担当職員さんの献身的対応に、頭が下がりっぱなしです。息子もそれぞれの担当職員さんには信頼を寄せているようで、親との会話に名前がよく出てきます。
 最近では歳を重ねるごとに情緒の方も安定してきている様にも思え、時に本人の口から「昔、お母さんに暴力してごめんなさい!」と言ってくれた時は、ホッとします。
親としては一安心ではありますが、この先の事を考えると、不安でいっぱいになります。
人一倍、こだわりが強く、周りの入所友達ともなじめず、個室に閉じこもる事が多い息子ですが、あゆみの里での、旅行とか、外出には喜んで参加しているので、これからも色々な行事には、積極的に応援してやりたいと思っています。

あゆみの里 入所者の親 葛原信子



2023年11月    架け橋
安心安全に暮らせる未来に向けて

 息子は、のじぎく特別支援学校高等部3年生です。あと5ヶ月程で卒業します。進路先には施設入所を希望していて、十一月の実習に向けて、この子の事をどのように伝えようかよりよい支援をしてもらうにはどの様に伝えていったら良いかなど、担任の先生と相談している最中です。
 卒業後すぐ入所はかわいそうじゃない? と言われたりしましたが、息子が重度知的障害を伴う自閉症とわかってから、親の会や、色々な子育て講演会、先輩お母さん達のお話を聞いて、成人式までは頑張って家庭で育て、成人になったら、社会や地域に育ててもらおうと、私なりに頑張って子育てをしてきました。
 何をするにも定型発達の人より時間がかかり、また、こだわりが強くなる前に親から離れて生活して欲しいという願いから、卒業と同時に施設入所という選択をしました。
 小学5年生頃から短期入所の体験を始めて徐々に親から離れる経験をしてきました。今では、カレンダーに短期入所の予定を記入すると、彼のルーティンになり自分で荷造りをする様になりました。
 来春の春には、我が家の子供達3人は、それぞれの進路に向かっていきます。私達夫婦も子育てから卒業でき、新しい生活になれば良いのにねと夫と話しています。
 どこにいても家族が笑顔で、安心・安全に暮らせる様にと願っています。

神戸市自閉症協会 松原育子





2023年10月   架け橋
「息子に対する思いの変化」

 16年前から神戸あゆみの会にお世話になっています。あゆみの里の作業所時代は驚くことに他人に関心を持ち始め、付き合い方を少しずつ学ぶようになりました。
なごみの里への異動も無事クリア!なんと言葉で意思疎通ができる機会が増えてきました。怒涛の成長を遂げた20代でした。30代ではどんな成長みせて驚かせてくれるのか楽しみです。
 また、支援サービスを利用することでも息子は成長したように思います。家族以外の人と出かけるにあたり頑張ったのでしょう。言葉でのやり取りが増えてきました。最初は家族のいない場所での宿泊を嫌がっていましたが、受け入れてくれるようになりました。親亡き後の事を考えると大きな一歩です。
 気づくと30代半ばになった息子に対して「彼自身の人生を楽しんでもらうためのサポートに回ろう」と思うようになっていました。担当職員さんに「お子さんに対するご要望はありますか?」と聞かれ、「ありません1」と答えて驚かれました。今では私の真意を理解していただいてると思います。健康面、金銭面などのサポートや施設職員、ガイドヘルパーの皆様に息子の希望を伝えるパイプ役になろうと努めています。
 息子を取り巻く全ての皆様に支えられて家族でここまできました。歩みはゆっくりでも着実に前に進んでいる息子をこれからもサポートしていきたいと思います。

なごみの里 砂田純子




2023年9月   架け橋
<健康でいられること>

 自閉症の息子(耕平)は、 今年で39才になり神戸光生園でお世話になって20年近くたちます。
当然親も年を重ね、親なき後!を考え悩みはつきません。 でもその前に親ある今! 高齢化してきた両親がそろって健康でいる事が大切と思う日々です。
私が10年ほど前1ヶ月の入院をした時は、夫や施設の方々、ヘルパーさん、自閉症協会のメンバーと色々な方々にお世話いただきました。
 私が回復してきたら、今度は夫が体調をくずしています。息子の自閉症特有のパニックも気になり落ち込みました。
でも、ここで前向きに考えてみると、息子が神戸光生園に行くのが好き! ・職員の方の支援!・自閉症協会のメンバーの協力!・息子が元気・etc感謝する事が色々ありました。
家事はさぼりつつ(と言い訳出来ます)。家族会参加は控えて(ごめんなさい!) 出来る事は考え実戦して暮らせるといいですね。親ある今、息子の生活の場を探し考えています。
息子も親も健康に過ごせるよう願っています。身体が資本ですね。

神戸光生園家族会  井領美幸



2023年9月―2   架け橋
「日記から」

 2022年9月1日 息子の入所が決まった日
― 長かったねこの旅立ちに母を卒 ―
2022年某月某日
清心ホームに入所した子(浩二)と外出。ホームの前から森林植物園行きのバスが出ます。帰りもバス利用。乗り込んだ途端叫び始め、混んだ中を謝りながら下車。
運転手が、「チェッ」と言ったように聞こえた。乗客全員を代表しての舌打ちだったかもしれません。
2022年某月某日
ヘルパーさんと外出。在宅中せっかく築き上げた方との出会い。かっては移動支援を利用出来たが、施設入所の場合は実費となり痛い。
2023年某月某日
中央区の所属婦人会市政懇談会に参加。
「カートを引っ張りながら、狭い道を歩いていると前後に子供を乗せた自転車が追い越して行く。怖い。何とかなりませんか」の要望に中部建設事務所の担当者が答える。
「少子高齢化対策」明石のように五つの無料化と活気のある神戸を望みます。」
区長が頑張っている個所を遠慮がちに、いや自信をもって答える。そんな中会場から、
「何でもかんでも無料化は歪がきます。」と言う意見に私も一寸立ち止まりました。
2023年某月某日
 暑い中、浩二と外出。涼しいところを歩くか~。先ずは腹ごしらえ。三宮高架下で串カツ・焼き鳥・豆腐サラダ。私はビールの肴にしたいのに、本人は食事。
そうです最近静かに外食ができるようになり、居酒デビュー。気を許して「次は何処行く。」と話しかけたことが災い。
お店を脱走。皆酔っているから、私たち親子のバタバタなど気にしていないだろうと開き直る自分に拍手。
2023年7月21日
家族会より陽気会よろこび荘などを見学。清心ホームも新築と改装にかかるので研修
会。当施設を中学部の時ショート利用したが、裸で走っている子をみかけびっくり。
畳も古かった建物がどれだけだったかわからない。実は清心ホームを十分に知らないの
が現状。時々の外出や帰省もいずれ出来なくなる。どのように子も親も年を重ねていく
か、何が理想なのか自体がわかっていない。
― 子らの館口はさむ智恵借りまくる ― (川柳)

清心ホーム家族会 森山安子





2023年8月-2

運命を信じて…

 1995年、阪神大震災で私はタンスの下敷きになりました。妊娠3カ月でした。その時、お腹にいたのが宗(たける)です。絶対安静で過ごし無事に生まれた男の子に大喜びでした。2人目の子は成長が早いと上の娘の時と比べて思っていました。
が、宗は1歳5か月の時に妹が生まれてから昼夜逆転の睡眠障害になりました。
私は日中長女を幼稚園に通わせ、妹の授乳に家事、夜は寝ない宗に付き添う生活をしていました。気がつくと目まいを起こすようになり体が悲鳴をあげました。
宗が2歳半になった頃に大学病院で経過観察のすえ自閉症と診断を受けました。
そして昼夜逆転を治すためにのばら学園に通うことになりました。
そこでお母さん方と出会い、話をしたり、講演を聞いたりして私一人ではないと思えて随分精神的に助けられました。
 今、宗はなごみの里に通っています。
先日、なごみの里の家族会で施設長からあゆみの里を設立するにあたっての話を聞きました。その当時の皆さんの大変なご苦労と頑張りに感動しました。
その時、宗の進路先を決める懇談であゆみの里には通えないけれど、あゆみの会がなごみの里を開所することを知り担任の先生に「なごみの里に通えますよね。これって運命ですね。」と興奮して言ったことを思い出しました。と同時に改めて30年前にあゆみの里を設立していただいたことをありがたく思いました。
 なごみの里ではいろいろと問題を起こす宗に職員の方々は宗の思いを知ろうとしてくださり、親としては感謝しかありません。
また、のばら学園に通っていた人達となごみの里で再会したことも運命だと思っています。
今まで出会えた方々、これから出会う方々との運命の出会いを大切に過ごしていきたいと思っています。

なごみの里  大村 志有子



2023年8月

弟に感謝

 現在、成年後見・こうべきずなという主に知的障害のある方の成年後見を受任しているN PO 法人で活動しています。私がこの活動に携わるきっかけとなったのは、ダウン症の弟の 親族後見人として関わっていたことがきっかけです。
最初に母親から親族後見人を引き継いだ時はとても緊張していたと思います。その時は気 づいていなかったのですが、母親と弟の関係を幼いころからそばで見ており、何か大きな 預りものをしたような気持ちだったのだと後になって気付きました。 右も左もわからないまま、家庭裁判所の指導や関係者の支援で、次々と目の前の手続きを 進める毎日でしたが、ようやく慣れてきたころに弟が他界しました。 弟を看取れたことに安堵感はありましたが、私の中には、あー、まだ5年や10年はこの 人のために活動できる気力や体力が私にはあるのに、残念だ。まだまだ、支えたかったの にという気持ちが広がりました。
そして、彼のために使うはずだった時間を誰か別の人に使おうとそれが、現在の活動を始 めるきっかけとなっています。
現在の活動の中で、スタッフや対象者との新しい出会いがあり、気づきや学びがあり、楽 しく活動しています。それが被後見人さんの支援につながっているのならば、こんなに幸 せなことはありません。
あらためて考えると、私をこの場所に導いてくれたのは弟だと思い、彼に対して感謝の気 持ちが湧いてきます。

成年後見・こうべきずな 木原 ミホ





2023年7月-2

人には2つの手がある

 少しだけ、私の手に合った人助けをしたいなぁ~という心が芽生えたのは何時の頃からだったのだろう、お琴の先生になるため猛勉強中、先生から見れば孫ぐらいの中学生の私、学校帰りに、お稽古へそして色々な事を教えて頂いた、おやつも楽しみ! そして、その先生は「自分にしてもらった嬉しかった事は私(先生)に返すのでなく隣人にしてあげるのよ」と私に教えた。心豊かに育ててもらった中学時代に一生の「座右の銘」となる言葉に出合った。
オードリーヘップバーンの「人には2つの手がある。一つは自分を助ける為、もう一つは他者を助ける為」素直な気持ち「ほんまやなぁ~」と私が右手を出せば隣の人が左手を出したら5人もいれば大きな輪になる。一人では持ち上げる事の出来ない車椅子も持って階段登れるよネ! デコボコ道も一緒に歩けるよネ! 高校時代、生徒会の手伝い、募金活動、初心の手に合った人助け、そして今は後見のサポーター、これも自分の手に合った人助けかな?と思って活動している。
 いつも隣にいるよ、声かけてくれたら聞こえる所に、難しい事は分からない、でも片方の手は人の為に有るよ!をもっとうに活動を続けている私です。

NPO法人成年後見・こうべきずなサポーター  武田都美子



2023年7月

娘のおかげで

 少し低音でハスキーな産声で生まれてきた娘は、テレビの音にも反応し、物も目で追うし,喃語も出ているし、食欲も旺盛で何の心配もなく過ごしていたある日、黙々と遊び歩き始めた途端走り出し、そこから超がつくほどの多動が始まりました。夜も睡眠が短く、言葉も出ず、親の声掛けも無視、自閉傾向と診断されました。親子教室を始め、幼児通園施設、支援学級、支援学校、そして今の生活介護事業所に通園しています。あらゆる所で色んな支援を受けて、たくさんの方々にお世話になり、又励ましていただきました。娘のおかげで知り合えた方々に色々お話を伺い、納得したり、アドバイスを受けたり本当に力になりました。人と巡り合う事が大事で大切にしていきたいと思います。
 娘が二十歳になった時、大きな怪我もせず、よくここまで育ってくれたと感動したものです。
そして三十歳になった時、もう三十歳なのに私はこの子に、生きていく為の力を付けてやれていたのかと反省と心配をしたものです。四十歳が近づいている今、娘が将来、穏やかで健康で、そして少しの楽しみを満喫出来ればと思っています。
 福祉では、8050が問題点とされていますが、それでは遅いように思います。親が八十代になると親子逆転し、子供に頼っている現状を聞きます。親が安心して子離れ出来る様に、環境と支援を整えて欲しいと願っています。

神戸市自閉症協会 久保千明




2023年6月

半世紀が過ぎて

 1970年大阪万博の年に息子達也は生まれました。出生時体重1700g直ちに保育器に入り50日余り入院することになりました。その後ダウン症の診断を受け果たして無事に育ってくれるだろうかと新米の親は、ことある毎に右往左往する日々を送ることになりました。
養護学校時代は、父親の転勤に伴い初めての土地で過ごしました。息子の送迎の間に妹を近所の方に預かって頂いたり、PTAの活動を通して多くのことを学ぶ機会を与えて頂いたりといろいろな方に大変お世話になりました。特に、PTAでは先輩の皆さんに見守りボランティアや除草作業の合間に貴重な話を聞かせて頂きました。
 その後、震災後の神戸に戻り、息子は大好きな神戸光生園に通っています。すっかり中年体型になりましたが、最近ではヘルパーさんとの外出を楽しみに過ごしています。 現在8050問題のまつ只中、今後、親なき後をどの様に過ごすのかが、大きな課題です。
本人が心穏やかに過ごすことが出来る場が見つかることを切に願うばかりです。

神戸光生園 奥 明子




2023年5月-2

思い出作り
 病弱だった娘。一生誰かのお世話になって生きていかなければならないのなら、人に可愛がってもらえる愛らしい子に育てようと心掛けました。
手はかかるけれども、陽気で笑顔の素敵な女性に成長してくれました。
娘を園まで送って行きますと、手を振って駆け足で部屋に入って行きます。園では音レク、フラワーアレンジメント、お茶サークル、トリ
ムのプログラムに参加し、職員やお友達にも恵まれて毎日楽しく過ごしています。
きっと娘にとって居心地の良い所なのでしょう。暖かく見守って下さる所があると言うのは有難いものです。
 またショートステイやガイドヘルパーさんとのお出掛けで、親と違う人達との関係を持つ機会にも恵まれ、映画を見たり、大好きな飛行機を見に行ったり、またある時はお買い物をしながらティ―タイムと色々と楽しい経験が出来ています。
 家庭ではパソコンの前に座ってYouTubeでお気に入りの映画を探して楽しんでいます。
また車が大好きで、休日はドライブやハイキング、温泉、旅行と忙しくも楽しい時間を過ごしています。
6月には、沖縄でパラセーリングに挑戦する予定で、好奇心旺盛な娘、どんな表情をするのか今から楽しみです。
 障害があっても、いやあるからこそ沢山の機会を作ってやって、色々な経験をして心が豊かに満たされるように、家族で一緒に過ごせる時間を大切にしながら精いっぱい楽しい思い出作りをしています。

神戸光生園 山平玲子


2023年5月-1

  親の思い

 重度の知的障害を伴った自閉症の娘、春香は35歳になります。今はなごみの里にお世話になり、毎日楽しそうに通所しています。
 春香は2歳の頃に障害があると診断されました。それから30年あまり、春香も私もたくさんの人たちに支えられてきました。学校の先生方、施設の職員さん、親の会の仲間たち、数え切れないほどの人たちの顔が脳裏に浮かびます。春香を通じて知り合った人たちは私の大事な宝です。
 月2~3回、ショートステイを利用しています。報告書に「テレビでお笑い番組を見て、声を上げて笑っていました。」「歌番組を見て一緒に大声で歌っていました。」と書いてありました。
 家では想像出来ないことです。大きな鞄を持って嬉しそうに「ショートね。」と出かける姿を見ると、くたびれてきた親よりも、仲間たちや若くて元気な職員さんと共に過ごす方が楽しいんだろうなと想像できます。そろそろ親離れさせていい頃と真剣に考えています。
 親なき後のことも考えるようになりました。春香が一人で生きて行くには支援が必要です。これまでも素晴らしい施設の皆さんにお世話になりました。親身になって春香を支えてくださった方が大勢いらっしゃいます。感謝の気持ちでいっぱいです。これからもきっと心優しい人たちに巡り合えると信じています。
 でも懸念もあります。福祉や介護に携わっておられる方の人手不足です。年々ひどくなっているように思います。懸命に頑張っておられる職員の皆さまの健康が心配になります。福祉は人の命を守る大事な仕事です。
この仕事の大切さや素晴らしさを大勢の人々にわかってもらいたいです。施設の職員の方々を応援するのも親の会の役目だと思います。
 頭も若い頃のように動かなくなってきました。春香や仲間たちから元気をチャージしてもらいながら、もうひと頑張り人生を楽しいたいと思っています。

なごみの里 日野滋子





2023年4月

  感謝 ~みなさまのお顔を思い浮かべながら~

 息子は小さい頃から落ち着きがなく、こだわりは強く、パニックを繰り返していました。私のイライラは日に日に増大し、私は、ある日とうとう怒りの感情から抜け出せなくなりました。そして、そんな自分が心底嫌になり「考える」ことを始めました。
怒りとは?ずいぶん時間がかかりましたが、周りの誰かと自分を比べるのをやめ、私自身のささやかな前進を素直に喜べるようになったことで、ようやく息子の前進にも目を向けられるようになりました。
 そのような日々の中で、多くの方々に出会い、助けていただきました。泣いて笑ってまた泣いて…。本当に色んなことがありました。ご迷惑、ご心配をおかけしました。
 現在お世話になっているなごみの里でも理事長をはじめ、職員の方々に息子の難しい部分を知っていただき、根気よく支援をしていただいています。
 同じように苦労を重ねておられる家族会の方々の存在も私にとって大きな支えです。かぞくねっとの講演会では、毎回「考える」きっかけをいただいています。
 これまで出会ったすべてのみなさまのおかげで、今こうして前を向いて歩くことができています。感謝の気持ちでいっぱいです。

なごみの里 平井裕子




2023年3月

   架け橋  (原稿は一月に頂いていました)
『親が心配するほどでも・・・でもしんぱい』

 「ひげを剃っている間いびきを掻いていました」と、いつもお世話になっている理容店の奥さん。買い物をして理容店に戻ったらこんな話でした。息子の市中の理容店での理髪のデビューは遅く 14, 5年くらい前からか? まだ子供の頃は亡き女房と二人がかりでそれなりの理髪をしたものです。何しろ子供の声や金属音に敏感で耳を抑え塞ぐ動作と絶えず首を横に振る動作が止まりませんでした。女房は腕と首を抑え、私が見様見真似でバリカンとハサミで一応スポーツ刈り風に。主戦場は風呂場、首からリングに布を張ったものを下げて様子を見ながら手早く理髪したものです。本人も辛かったと思います。30代半ばになり耳を抑え塞ぐ動作と首を横に振る動作も少なくなり社会的体験を教えるため、おそるおそる理容店のドアをたたいて理髪をお願いしました。以前から散歩の途中に理容店の前を通るので息子のことをご夫婦は知っていましたし、私も常々利用する度にお願いをしていました。「なんとかなる プロだから」と、言ってくれていたし。さて、当日は全面的に任せられないので奥さんと私で椅子の周りを囲んで突然の動作がないようにと緊張したものです。本人はというと主人の理髪中落ち着いていた様子でした。安心しほっとしたことを覚えています。「終わったぞ よう頑張った」の一声に「ヤアヤアヤア」とドヤ顔風で返事をしていました。居心地が良かったのかもしれない、それ以来安心して任せられる様になりました。今は「頭 いくよ」と声掛けし店の椅子のところに連れて行くと一人で椅子に座りルンルン気分です。
 障害者といえ、子の身だしなみは親を映す鏡みたいで大事にしないといけないと、知的・視覚障害者を持つ親として心掛けております。子の成長は親が心配するほどでもなくそれなりに順応力を持っているものだと教えられた気がします。ここ20年で大いに成長し大人になった気がします。ヤアヤアヤア(任せなさい)と返事がくるかもしれない。又、今自分がどんな状態であるのか、口では発しないが肌で感じているのかもしれない。あの震災時のように。

こうべかぞくねっと副会長 小野寺良三




2023年2月

仲間と共に・・・・

 我が子「正弘」は、昭和60年10月15日に生まれ、現在37歳になりました。
言葉が遅い、独特な遊び方をする、視線が合わない等々、保育士の経験がありましたので、「自閉傾向があるなぁー」と感じていました。その不安は,みごとに的中でした。その時は、悲しくて 辛くて、精神状態がおかしくなるほど、落ち込みました。三歳前には、のばら学園に通所させて頂き、そこで、ハンディキャップのある子どもたちとお母さん方に出会いました。私と同じような立場で頑張っているお母さん方にパワーをもらい、私の心は楽になりました。
 正弘が小学校へ入学したのを機に、自閉症協会に入会して、勉強させていただきました。将来どんな感じに育つのか? どんな事を最重要課題として、取り組んだら、正弘が生活しやすく成るのか? 先輩のお母さんからアドバイスをもらいました。悩みや不安も聞いてもらい、私の心は安定しました。
 平成19年に、のばら学園や自閉症協会のお母さん方と「NPO法人ファーム」を設立しました。余暇活動を主とする事業を行い、料理教室等々を開催して、障害者やその家族に集まれる、居場所を作っています。正弘も料理が大好きな大人に成長しました。生き生きと、とびっきりの笑顔で活動しています。正弘にも、楽しい居場所になりました。私の心は充実しています。
 現在、正弘はなごみの里に通所して、グループホームで生活しています。ひとりっ子で、グループホームに入所させることを、当初は、寂しく感じていましたが、今は、家とグループホームの生活を楽しんでいる正弘の姿を見て、「しあわせだね」と思っています。休日や平日の夕方には、ガイドヘルパーさんと外出も楽しんでいます。なごみの里は「こうべかぞくねっと」に所属していますので、私に新しい刺激をくれて、勉強させてくれるだろうと、期待しています。私の心はワクワクしています。
 これからも、仲間と共に、日々楽しく過ごして行きたいと思っています。辛い時があれば、この仲間たちと、互いに支えあいたいと思っています。正弘が生まれてくれたおかげで、私は、素敵な仲間に出会えました。「正弘、ありがとう」

なごみの里 伊藤さとみ



2023年1月

施設 家族 信頼関係

 長男 健一郎は千葉県船橋市で出生、3歳児検診の時に発達障害児と判明しました。
幼児期は福祉施設に通所。小学校入学と同時に神戸市に転居して地域の小中学校で9年間、普通学級と仲良し学級の両方で教育をして頂きました。
陽気会には、中学を卒業して以来35年間お世話になっており今年50歳になりました。毎年個別指導計画、各種検査説明、最近ではコロナ対策等々、家族としては常に安心してお願い出来る状況で、本人も楽しく生活しています。
残念ながら、この2~3年間はコロナの影響で実施しておりませんが、家族会主催のハイキング・キャンプ(舎営)・魚釣り・芋ほり・音楽会等を行い、それぞれの行事に参加した利用者と家族の繋がりが出来ている事は良かった思います。
 陽気会では、年4回小冊子「陽気会通信」を発行していますが、そこには利用者全員の生活状況や行事の写真が掲載され、その殆どは笑顔や澄まし顔です。
 私は会社員だった頃、仕事の関係で幼稚園や保育園を良く訪問していましたが、障害児らしい園児を見た時に、園長先生にお尋ねすると「親御さんが障害児であることを認めないんです…」とのお答えでしたが、役所とも相談しておられるようでした。
親として「親御さんのお気持ちは十分理解できますが、園児にとっては早く認めて、それなりの対応をすることが、将来の園児の幸せに繋がるのではないか~?」と経験者として園長先生に説明をしました。
 以前、全国知的障害者施設家族会連合会 “ひょうごかぞくねっと” “こうべかぞくねっと”の会合に参加して、自分の家族がお世話になっている施設を信頼していない発言が目立ったのは残念だ。中には“かぞくねっと”の会合で施設と上手くいかなくて真剣に悩みを訴えている方がいらっしゃいましたが、このような方には適切なアドバイスが必要だと思います。
 2022年8月 自助 共助 公助 で掲載されていた文面で「こうべかぞくねっとは過度な主張や批判をする団体でなく親の思いを知らせることができる唯一の団体となれば、会員の皆さんは勿論・行政・家族会・友誼団体に必要とされると確信しています」と書かれていましたが、私も正にこうあるべきだと思います。
   

社会福祉法人 陽気会
   おかば愛育会 会長 千坂喜勝



2022年12月

親の思い

自閉傾向で重度の知的障害を持った息子が、あゆみの里に入所となって丸3年が過ぎましたが、入所して1年後に肺炎で入院する事になりました。
本人が病状を訴えることが出来ないので、施設で様子を見て頂ていましたが、それによりますと、発熱と食欲不振が続いており、肩で息をしていたそうです。
医師の診断のもとに入院が決まりました。当然個室となり、付き添いが必要となりましたが、その頃、親二人は体調を崩していて、昼間の5~6時間以外は施設の付き添いサービスを利用させて頂き、職員さんに交代で付き添って頂きました。1週間の入院でしたが大変お世話になり本当に感謝しております。
その4ケ月後に、また発熱と食欲不振の病状が出ました。肺炎ではなかったのですが、本人がしんどそうで腰も痛そうな様子でしたが、原因が判らず医師も何らかの細菌感染を疑い抗菌薬を処方してもらいましたが、一向に治まらず別の抗菌薬に変更しても治らず、1ケ月位その状態が続いたので心配でたまりませんでした。思い切って先生にエコー検査とCT検査をお願いしたところ、尿管に結石か何かが詰まってそこで細菌感染を起こし、それが上に上がって腎盂腎炎を引き起こしているとの事で、それに対応したお薬を処方して頂き、ようやく快方に向かって行きました。そう言えば、腰を「く」の字に曲げて動いていたので、相当痛かったのだろうと思いますと、親でもなかなか分かってやれない事を思い知りました。
ただ言えることは1ケ月もの間、原因が判らない発熱や食欲不振が続く状況は親にとっては心配でとても辛い事です。親がいる間は親の意見を医師に伝えますが、親が居なくなった時に施設職員さんが踏み込んだ意見を伝えて下さるでしょうか? いえ、是非伝えて頂きたいです。殊に、身体や健康に関する事はお願いしたいと思います。それが、親の思いであり、願いだからです。

あゆみの里 家族会会長 長井順子



2022年11月

話し合いに「ゆとりの空間」を!

 些か旧聞に属しますが9月27日安倍元首相の国葬議が執り行われました。約4.,200人の国内・外の要人が参列し、また一般弔問者も約2万5,000人が4㎞にもおよぶ列をなして献花をあげ、粛々と故人の功績をたたえ悼んだのはつい一ヶ月前のことでした。
 この国葬儀の是非については賛否両論があり、多くの人たちが反対していたことは事実です。
ただこの反対の動きには、「国葬反対」の前提に立って反対のための反対論を展開した一部メディアや野党に煽られたことも否定出来ないことでしょうが、遺族への配慮や生前はともかく故人に対しては安らかなれと悼む日本人の心情とは可成りかけ離れていたように思えてなりません。
 このような国葬儀にまつわる騒ぎを見るにつけ思うことは、互いに主義主張の違いを殊更きわだたせた対立の構図しか見えず、そこには敬意や感謝、寛容と節度、心遣い等相手に対する配慮が何処かに置き去りにされているかのような思いです。
 さて、このような風潮の中で福祉の場でもいろいろな話し合いがもたらされますが、その際の私たちにはどのような立居振舞いが求められるのでしょうか。
相手が行政であっても施設であっても、私たちは常に弱者の立場を貫きつつも、寛容と節度を保ち、相手の立場も理解する余裕を持ちたいものです。
自己主張を否定するわけではありませんが、そこには何時も「ゆとりの空間」が存在していて欲しいものです。
 以上少し固い話になってしまいましたが、人の内面が「0か1かの選択」しかないデジタルの世界と同じようになりつつある世の中の風潮を嘆く年寄りのつぶやきとお受け止め下さい。

「とこはの家」家族会 会長 石井 亨



2022年10月

架け橋

元気で活発な女の子として生まれてきた娘が、 3歳でいきなり大発作が出始め、半年後には30分に及ぶ大発作に…。驚きかかりつけの医者へ。
その後からは中央市民病院のDrに見てもらうようになりました。  小学の頃は、いつ発作が起きるかわからないので、弁当持参で待機しました。
中学の頃は発作が頻繁に起こる為、3年間で数十日しか通学できませんでした。支援学校は行かず、自宅での生活でした。
19歳でグリーンホーム平成に通所し、その後清心ホームに入所(今はグループホームに席を置いています)ここでも様々な試練が降りかかります。
湯船で大発作が起き肺に水がたまり20日以上の入院。外階段で背中を強く押されコンクリートに落下、右腕を開放骨折し手術。退院後も過酷なリハビリ等々。
今は通所の皆さんと楽しく過ごしております。私は翼の見えない天使(娘)によって成長させていただきました。
これから幸せな一生を送ってほしいと願っています。  

恵泉尞清心ホーム家族会  坂本恵子



2022年9月

親と一生の生活は

 今、入所施設は認めないと言われる。 けど、今、入所施設を利用している人達から「入所施設に入られて良か ったと」よと、ときどき聴きます。
 では、こんな例は。私が20数年利用している理容店で出会いたした 知的障害者を持つ80代の夫婦と理容店の奥さんとの会話。 「小さい頃(息子)は可愛いくて一生自分達で育てようと思った。 なんとかなると思ったが年には勝てぬ。今、思えば初めから入所施設に 預ければよかったと、 小中学校は出席日数が足りなくてもどうにかなった。が、中学卒業後は 職にも付けず家での生活。今もいつも外に出ているが、他人に悪さをし ないので安心している。いま80代になりだんだん足腰が弱くなり免許証 も返して自由が利かなくなったので息子が重荷になってきたし、親が死 んだら誰が息子の面倒を見てくれるのかと心配が先に立つ。一人っ子な ので。 ましてや私たち兄弟もあてにならないし、お金もないし。入所施設があ ったら直ぐにでも預けたい。今、区役所に相談にいっているがなかなか です。親が死ぬとき息子も連れていけないもの」と。 こんな内容の会話でした。
 これはけっして我が儘では無いと思います。 高齢者社会の日本、こうゆう家族は沢山あると思います。 これこそ、自助、共助ではなく公助では。 我が亡き女房も「智一(息子)は、一生私が家の中で育てる、施設に入れ ない」と言っていたと、後で元盲学校校長より聞いたことがあります。
  

こうべかぞくねっと副会長    小野寺良三



2022年8月

家族のおもい

 平成7年1月17日阪神淡路大震災の翌年次男泰大は措置制度の元、自立 センターひょうごを利用、措置から契約に変わる、平成15年支援費制度が始まり、平成18年障害者自立支援法、平成25年障害者総合支援法成立、目まぐるしく変る法律に施設や家族は翻弄されました、障害者福祉の後退です。
 元月刊サポート編集長元愛心園施設長福田和臣氏が(令和4年6月13日   死亡)ひようごかぞくねっと機関紙34号に、高齢化と親亡き後の心配に対して入所施設の役割は極めて絶対的です。  入所施設には安心と安全があり、日々の生活には困ることは無く、一般社会に比べたらずっと暖かい人間関係がありますと投稿されていました。
 私事ですが7月17日転倒により右手薬指骨折、家事は元より車の運転、着替え等自分の事が出来ず、さながら身体障碍者です、まして介助が要る泰大の支援等不可能です、その日の内に週末帰省していた彼を迎えに来て下さり、グループホームの生活が今まで通り始まりました、感謝の思いでいっぱいです、親の思いは親で無くても共有出来る事を実感しました、施設長始め職員の皆様には感謝です、今回のテーマを書きました。
 

なごみの里家族会  会長 木村三規子



2022年7月

ご協力お願いします‼

新年度が始まり2か月が過ぎました。今年はどのような一年になるのでしょう。利用者さんたちにとって、少しでも多く、楽しい思い出がふえますようにと願うばかりです。
剛志の通う事業所は、最近活気がないように思います。私は笑顔大好き、笑い大好きなので、少し物足りません。・・・なぜ活気がないのでしょう? 私なりに考えたのですが、やっぱりコロナ禍のせいなのだと思います。・・・でもコロナ禍はなくならないと思います。ウイズコロナの時代でも、活気ある事業所であってほしいと思っています。支援者の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、先日息子と山歩きをしました。青葉若葉そして好天気に恵まれた気持ちの良い一日でした。行き交う人々は、老若男女マスク着用者、そうでない人等いろいろでしたが、皆さんとても良い調子で歩かれていました。やっぱり山はいいなあ、気持ちがよかったです。そして、剛志もとても良い表情で歩いていました。
この間「徹子の部屋」を見ていたのですが、著名な90歳前後のご夫婦の出演でした。穏やかなご夫婦で、夫が「あの世に先に行った方が門を出たところに喫茶店があるのでそこで待つ約束をしています。」と言うと、妻は、うふふとうなずいています。え、あの世もこの世と同じような感じと思っているんだなあ面白いと思いました。そして仲良し夫婦なのだなあとも思いました。もし本当にそういう所があったら、私が、先にあの世に行った場合、主人を待つかなあ・・・皆さんどうされますか?

こうべかぞくねっとでは、先日第一回会長会(評議員会)を終える事が出来ました。ご了承いただきました議案に基づき、野口会長と共に、親亡き後の心配を一つでも取り除く事を目標に行動したいと思っています。皆様のご協力をお願いいたします。

こうべかぞくねっと理事 出来竝江


2022年6月

家族の思い

5才の時に遅れがあるとわかり、親のしつけの問題と言われた時代、自責の念に駆られて取り戻そうと一生懸命だった幼少期。それでも皆との差は開くばかり。頑張っても障害は治せないと納得して肩の力が抜けた小学校高学年。それからは、彼の本当の気持ちは分からないけれど、私たちの楽しい事は楽しいはずと、スポーツやキャンプに参加して楽しんでいるのは、本人の希望した神戸光生園に通所して27年の今も同じ。  
いろいろと大変な事や問題もあったけれど、障害をもったからこそ出会えた ボランティアさんや援助してくださる人達とのつながりを大切にしながら、これからの生活の場を得て46年になろうとする子育ての終わりを迎えたいと願っています。

神戸光生園家族会  高木道子


2022年5月

白昼夢

 久しぶりのお墓参り、帰宅してお姉ちゃんを降ろし車庫入れをしようとした時、息子智一が突然、「おいおやじ」と後ろの席から私の肩を叩くんです。
「俺の生まれた所へ連れて行ってくれ急に行きたくなった、今すぐ車で」と言うんです。「なに、阪急電車の方が早いのに」「いや車の方がいい」と。たまには息子と二人でのドライブもいいかと、国道2号線をあれこれ町の様子を語りながら東へ、西宮で171号線に。少し走ると阪急宝塚線を跨ぐ陸橋、渡り終えると右手大きな病院。「そこで生まれたんだ」と言うと「へーぇ」の一言。「ここを左に曲がると宝塚、競馬場方面」かと息子。「3階建てのマンションを指差し、ここが借上げ社宅ここで生活をしていたんだ、お前が神戸の小学校に入学するんで今の御影へ引越した」などと言うと「へーぇ」の返事。近くのスーパーでお茶を買い、駐車場に車を止め武庫川河川敷へ「おまえがよちよち歩きの時から神戸の小学校に入るまで、コンビニがない時代、時々、お母さんが作った弁当をここで食べて遊んだ所だよ」。「なんか覚えていないか、ものごころがついていない年だし」歩きながら「いやなんにも覚えていないな」と。「でも、草の匂いがなんとなく残っているようないないような?」土手の満開の桜の下に二人で座り、無口でただお茶を飲みながら行きかう人々を見ていて、ふと、この子の故郷と言うものがここなのかな、ここでいいのかと考えた。
 故郷は遠きにありて思うものと言うが、私の生まれた在所は800キロ北の彼方。還暦 古希 喜寿 傘寿と年齢を重ね頭髪が薄くなるほど故郷への足が遠くなるが思いは強くなり、あといつ故郷へ帰れるか思案する年代になっているときに息子の故郷がここかと思うとなんか寂しい。
北原謙二の50余年前に流行った「ふるさとのはなしをしよう」の歌が、ふぅーと頭に浮かび、カラオケでも私の定番が、さて歌おうとマイクを握ったとたん、突然電源が落ち、そして身体を激しくゆすられる。お姉ちゃんがコンビニで買い物を済ませて助手席で私を起こしているところでした。冷たいお茶でも飲んで 目を覚ましてうちへ帰ろうと。後ろの席では息子智一がいつもの「ヤアヤアヤア」の声。現実に戻る。
暖かい日でもあり寝不足のせいもあり、お姉ちゃんが買い物をしている間にハンドルにうつ伏せでスヤスヤか。いい夢を見た気分。 白昼夢。

こうべかぞくねっと副会長 小野寺 良三


2022年4月

まだまだ続くコロナ禍

昨年12月の架け橋で「錦秋の京都」を書かせていただいた時にはコロナ感染者数は減少しており、このまま落ち着いてくるのではと思いましたが、年が明けてから感染力の強いオミクロン株の出現で猛威を振るい、瞬く間に感染者が増加して第六波に突入しました。
 そんな中、通所施設「なごみの里」においても二人の利用者が感染して翌日の1月18日から施設を閉鎖したようです。
 グループホーム「のどか」を利用している娘は週末に予定していた帰省ができず、しばらくの間はホームで過ごす事になりました。食事なども部屋で取り、殆んど部屋で過ごすことが多かったと聞きました。娘は部屋ではパジャマに着替えて病気モードになっていたそうです。以前、インフルエンザに感染した時のことを思い出していたようでそのことを支援員からの報告で娘なりの健気な行動に涙が出そうになりました。
施設閉鎖中は他の利用者の方もホームの中だけで過ごし、よく頑張ったと思います。娘は情緒不安定になることがなかったと聞き安堵しました。やはり、仲間と一緒にいると言うことが大きかったのではないかと思います。
その後、感染者が出ず1月24日から「なごみの里」の日中活動が再開して、1月29日には帰省してきて嬉しそうにしていました。
現在は通常の日常生活を維持することができております。この困難な状況の中で「普通の生活」ができると言うのは有難い事であると痛感しております。
今後とも施設、家族ともに感染対策を万全にしながら頑張っていかなければと決意しているところです。

こうべかぞくねっと副会長 呉 珀華


2022年3月

“春よ来い”

2回目の原稿となります。 さて、その後皆さんに伝えたい私の行動、経験に何か変わったことがあったかなぁと考えました。・・・やっぱりコロナ禍で行動を自粛しないといけなくなり、経験の乏しい時間を過ごしており特にないのですが、その中で、2月17日に、ひょうごかぞくねっとが主催して中央研修会がZoomで開催されました。
講師は、一般社団法人『親なきあと』相談室 関西ネットワーク代表理事 藤井奈緒氏です。同氏は、重度の知的しょうがい者である長女(18才)と健常者の次女(12才)二人の40代後半のお母様です。長女さんは、身障手帳2級,療育手帳A、知的レベル1~2才、しゃべれない、好き嫌いの表現が乏しい等息子とよく似た性格のような方だそうです。講演詳細は、後日広報たよりでご覧いただきたいと思いますが、私にも分かりやすい講演内容で非常に良かったと思います。最後に {~いちばん伝えたかったこと~まだ間に合う、一度は無理でも出来ることから一つずつ私たちと一緒にやっていきましょう。 親にしか出来ない‟備え”を}と講演されたことが、心に残りました。  
さて、息子の作業所ですが、コロナ罹患者が多数出て、我が息子は、2月は1日しか通所していません。(親の気持ちで) 友人の息子さんが、いつもはそんなに作業所通所を好んでいないのに、家にいる期間が続くと親の監視が気になるのか、「作業所に行くよ。」と言っているようです。やはり、作業所はいい場所なんですね。  
3月・・・2021年度最後の月です。桜の開花が気になる月です。コロナ禍が落ち着き早く暖かくなぁれ‼ 来年度こそは良いことが一つでも多くありますように…‟春よ来い”

こうべかぞくねっと理事 出来竝江


2022年2月

「日常 あるある」

コロナコロナで3年目を迎え、毎日息苦しさを覚えています。最近のオミクロン変異株は日本、いや世界中で爆発的な感染力で感染者が増え続けていて驚いております。
 振り返れば、昨年9月30日をもって緊急事態宣言が解除されて、次の第6波は正しく恐れながら生活していけば元の暮らしに少しづつ戻っていけるのではとの動きになっていたところにオミクロン変異株の出現です。
当初オミクロン株は先のデルタ株より弱毒で弱毒化していくのではとの見解もあり、いよいよコロナが普通の風邪の一つになってお付き合いが始まるのではないかと期待していましたが甘かったです。
 そんな中で息子が入所している施設では、今まで利用者・職員・家族が守られております事は幸いな事ですし感謝です。
 神戸市内においても幾つかの施設でクラスターが発生し亡くなられた利用者もおられます。このオミクロン株が最後の株となって早急に収束する事を願う毎日です。
 我が家族会の長年の念願は入所者の生活環境の充実です。
「人を愛するとは、その人自身の美しさを自分で発見させ、見せてあげることだと思います。その人の存在する場所を作ってあげることです。あなたは大切な人であり、あなたには価値があると、その人自身に示してあげることです。」
(ジャン・バニエ)
この年が会員みなさま一人一人の健康が支えられ夢が一つでもかなう、明るい年となって欲しいと心より願っております。

こうべかぞくねっと理事 川村幸子


2022年1月

「ヤァヤァヤァ」

   ビートルズ映画のタイトルやCDの曲目ではありません。
我が息子「智一」が発する唯一の言葉です。
先天性緑内障で眼球白濁があり光を感じることが出来ないのです。今や、聴覚・臭覚・手先・足裏・あとひとつ何かが目の代わりです。
旧神戸市立盲学校の卒業寄せ書きの中に「ヤァヤァヤァの調子で体調が分かると」各先生方の言葉の裏には足蹴りも含んでいたか?
生まれて子供は2歳頃に簡単なことばを発するというが、「智一」はヤァヤァヤァと発するようになったのはいつか私にはわからない。が、亡き妻が「智くん」を呼んだら『ヤァー』と返事があったと満面の笑みで喜んでいたことがあった。3~4歳頃か定かではない。
 帰省の折、明生園より出て車中で「今日の園の食事は美味しかったですか」と聞くと、満足そうな声で手振りをしながら「ヤァヤァヤァ・・・」とリズムをつけて話かけてきます。床屋さんで終えた時は、お礼はと声をかけると、頭をぴょこんと下げ「ヤァヤァヤァ」。神戸市歯科センターでも同様です。
明生園に入所の頃は、意味の分からない怒った「ヤァヤァヤァ」と同時に足蹴りの被害にあった職員がいて申し訳なく思っています。この頃は、怒って「ヤァヤァヤァ」と同時に足蹴りは姉にも、姉が大声を出すと、手を頭の上に乗せ殴られるのを防いでいました。
今思うと、足蹴りはしつこく指示をする人に、もうひとつは、自分でするから教えてと言う意思表示だったかもしれない。
今は、自分で出来る事は全て任せています。ただ、痛々しく苦しい表情での「ヤァヤァヤァ・・・」は処置に困ります。生まれてこれまで身体の不調は付きものでどこに異変があるのか想像をするしかありません。
夜中に飛び起きて居間のテーブルにすわり「ヤァヤァヤァ」と何か要求。トイレの中から「ヤァヤァヤァ・・・」。布団に入って笑いながら「ヤァヤァヤァ・・・」などなど。
帰宅時は直ぐに、また、「食事ですよ」と声をかけると手洗いに行きます。布団は運んで敷くまねを(仕上げは私たち)します。風呂は勝手に入ります。洗濯物は自分で洗濯機にポイ!。 食事の後、食器は自分で流し台まで運びます。
外出時は、部屋からエレベーターの前まで勝手に歩いていきます。
旧盲学校時代は教室からトイレまで自分で行っていた、後から先生が尾行。

こうべかぞくねっと副会長 小野寺良三


2021年12月

錦秋の京都

  コロナ感染者数もずいぶんと減少し、11月15日に友人と京都への日帰りバスツアーに参加しました。京都に行くのは三年ぶりです。
朝7時10分三宮発の早い時間の集合でしたが神戸各地から三々五々、27名が集まりました。バスはまず亀岡に向い嵯峨野トロッコ列車に乗ってゆったりした保津川の流れを眺めながら美しい景色を満喫しました。
 嵐山で湯豆腐の昼食をとり周辺を散策しました。観光客は増えてきており、修学旅行生も見かけるようになり、コロナ前にはまだまだ及びませんが徐々に賑わいを取り戻しているように思えました。
 その後は紅葉の名所、南禅寺を訪れ永観堂禅林寺の放生池に映える見事な紅葉の美しさに見とれました。京都疏水・水路閣のレンガアーチはレトロな感じで味わい深いものがありました。次に泉涌寺(せんにゅうじ)の御座所庭園では赤・黄・橙の混じり合った紅葉に心癒されました。美しい楊貴妃観音像を見る事も出来ました。別院の雲龍院の蓮華の間では四つの障子窓を覗くと椿・灯籠・紅葉・松が見え情緒を醸しだしています。また霊明殿前には徳川慶喜寄進の石灯籠が配置されてお菊紋の砂利が見事で静寂を感じました。
 今回のツワ―はもり沢山の紅葉名所めぐりで少々疲れましたが京都の美しい秋を満喫した一日でした。

こうべかぞくねっと副会長 呉 珀華

2021年11月

もう11月

  もう11月、一年があっという間に過ぎようとしています。コロナ禍で、私たちの慣れ親しんだいつもの生活ができにくくなり、新しいルールでの生活になっていますが、会員の皆さんは、いかがお過ごしでしょうか。その中でも何か心に残った事、発見したような事ありましたでしょうか。私は、事業所への送迎を通常していますが、久しぶりに保護者と会い、とりとめのないおしゃべりをしました。別れた後何だか心が軽くなっています。今まで気にしてなかったですが、おしゃべりするって良い事なのだなあと思いました。私の発見の一つです。  
話は変わりますが、息子の通う事業所は、コロナ禍で9月まで変則出勤でした。週2~3日出勤し、後の曜日は在宅支援でした。三密をさけるための支援策です。10月からは、毎日出勤できるようになっています。いつもの生活形態にかえり息子は、嬉しそうにいそいそと通っています。今後ですが、コロナ禍次第でいつまた勤務形態が変わるか分かりません。  
また話は変わりますが、1月早々に愛する叔母が他界しました。「あんたは、剛志(息子) がいるから長生きしないといけないよ。」と事あるごとに励ましてくれていた、頼りにしていた優しい叔母です。入院していましたので、コロナが無ければ再々見舞いに行き、いろんな話をしたかったのにと残念に思っています。一度も見舞いに行くことができませんでした。「おばちゃん、ごめんなさい。」  
そして、今年は身近な人との別れが多くあった年になりました。 コロナ禍で会の活動も思うように進みませんが、ご理解ご協力よろしくお願い致します。

こうべかぞくねっと理事 出来竝江


2021年10月

コロナ禍の中での成年後見活動

 私がかかわらせていただいております 成年後見・こうべきずなの後見制度は、知的障がい・精神障がいや認知症などで判断能力が十分でない人の身上監護(福祉や医療サービスの契約等)や財産管理をご本人に代わって行う制度です。 家庭裁判所から選任された後見人がご本人の権利を擁護します。 後見にはご本人の判断能力に応じ法廷後見(後見・保佐・補助)と任意後見がありますが、2年間にわたるコロナ禍で活動も変わらざるをえなくなっております。 被後見人さんとの面会がかなわない事も多いのですが、毎月被後見人さんの関係者からご本人の情報をいただき、月の必要費用を渡しております。
 このコロナ禍で外出や人との交流を制限され大きなストレスをためているのではと思っておりましたら、関係者からのお話によりますと強いストレスを感じている人もいるが多くの皆さんは意外とマイペースで強く感じている人は少ないとお聞きし、ホッとしてうれしかったです。 パソコンやゲーム・掃除・その他大好きな数えきれない遊びに夢中になれる障がい者の能力を誇らしく思いました。
 そんな中、担当させていただいておりました女性の被後見人さんがコロナで亡くなりました。ワクチンがまに合わず、多量の薬を服用していたからか原因は分かりませんが、入院後、回復せず悲しく残念な別れとなってしまいました。 多くの尊い大切な人達をアッと言う間に奪ってしまうこのコロナ感染が1日も早く収束する事を心より祈念いたします。

こうべかぞくねっと理事 川村幸子


2021年9月

パラリンピック真夏の夜の夢

この頃、朝一段落した後新聞を読んでいる途中ウトウト寝てしまう事が度々あります。息子が帰省中のある日、肩を叩かれ目を覚ますと息子が親父「今度、俺、パラリンピックに出場するんで練習場まで車で送ってくれ」と。(こいつ、いつ話せるようになったんだ?と半信半疑?) 
どこまで、「視覚障害者専用のグランドゴルフ場まで」と、( 初めて聞く場所、半信半疑?)。でも、息子のくれた地図を頼りに右や左にハンドルを切りながら、一方では自分の頭の中を整理しつつ ( ・・知らぬ町、知らぬ道を通る・・・・いつグランドゴルフを始めたのか・・・パラリンピックの話は初めて・・聞く・・・) 車を走らせる。走った時間は定かではないがゴルフ場の入り口が見えた。
ハウスの前では友達が迎えてくれた。日本にもこんな施設があったかと眼を疑った、大きさは甲子園球場位いでしかもドーム。グランドは人工芝で5㍍から20㍍位の距離のホールがいくつもあり多くの人達が遊んでいた。
ルールは8ホール回って1ラウンド。少ない打数で回ったのが勝ち。
道具は我々老人会で使うものと同じだが、鈴の出るボールを使用し、ホールポストには音声装置があり競技者に向かって「こっち○○番、こっち○○番」と呼ぶ、ボールが入ると「当たり」と声が出る。
ステックでボールを打ち、鈴の音を頼りに歩きボールを探し、ホールポストに向けてさらにボールを打ち、そして入れる。
各ホールにはボランティアさんが数人いて、打って止まったボールを、そして打つ方向を教えてくれる。時にはホールインワンも、歓声が・・・。
こんな障害者スポーツがあったのかと・・・・。
友達たちとの練習に満足したのか「親父、家へ帰ってビールでも飲もうか」と、車に戻りエンジンをかけようとしたら突然車体がぐらぐら揺れだし、ドタンバタンと激しい音。ハット我に返ると布団の中、激しい音は息子が自分の部屋の引戸を力一杯開けた音、トイレのドアを力一杯閉めた音だった。
真夏の夜の夢か。

こうべかぞくねっと副会長 神戸明生園明生会会長 小野寺良三


2021年8月

コロナ感染者が出た‼

コロナ感染症に対する施設利用者の方達のワクチン接種が始まり、娘も7月中に2回の接種を終える予定です。娘が所属している『神戸あゆみの会』の入所施設「あゆみの里(定員60名)」で4月3日に帰省した一人の利用者が発熱して4月5日にPCR検査の結果、陽性と判断されました。その為「あゆみの里」では利用者全員がPCR検査を行い利用者2名と職員1名が陽性と確認されました。
利用者2名は隔離され、固定の職員3名と看護師のみがその部屋に出入りするようにして、その職員も家族がいるので自宅に帰らず、ホテルに泊まって施設に出勤したようです。あゆみの里内では保健所の指導の下、感染対策を徹底的に実施したそうです。また、隣接の通所施設「なごみの里(定員60名)」の行き来を禁止して、昼間は「なごみの里」、夜間は「あゆみの里」で生活する利用者方達は一日中「あゆみの里」で過ごす事を徹底しました。その間、毎週帰省していた娘は3週間程帰省出来ず、後半は少し情緒不安定になったが、何とか乗り越えて4月23日に終息となりました。娘も24日には帰省することができ安心したと思います。この通所、入所、グループホームの利用者を合わせて120名の集団の中(職員、パート、世話人を含めると215名)でクラスターにならず、4名だけの感染者で済んだのは奇跡に近いと言えます。保健所からも評価の言葉を頂いたと聞いています。これはひとえに施設の判断と努力と職員の方々が使命と誇りをもって職務を全うして下さったお陰と感謝の気持ちでいっぱいです。

こうべかぞくねっと副会長 呉 珀華